生まれてきたのに、社会のどこにも「名前」がない。無戸籍の子どもたちが置かれている状況は、私たちの暮らしのすぐそばにあるにもかかわらず、声が届きづらいため見えにくい問題です。しかし、その影響は“生きるための当たり前”のほとんどに及びます。
この記事では、とくに 「自分ごととして考えられる視点」 を交えながら、この問題をやさしく紐解いていきます。
「存在しないこと」になる痛みとは
無戸籍の子どもは、行政上の手続きを経ていないだけでなく、社会の仕組みの中で“いない人”として扱われてしまいます。医療、教育、福祉、就労。そのどれもが、戸籍を前提として設計されているからです。
健康保険に入れず、病院にかかると全額負担になる。進学を希望しても、必要書類が揃わず門前払いになる。身分証を作れないため、アルバイトさえ始められない。こうした、当たり前に思える権利のすべてが遠ざかる状況が生まれます。
無戸籍問題のつらさは、「手続きがない」ことではなく、日常の選択肢がほぼすべて奪われてしまう点にあります。
なぜ“無戸籍”は起きてしまうのか
背景には、DVから逃げている状況、パートナーとの関係悪化、経済的余裕のなさ、制度への誤解、家族の崩壊など、さまざまな事情があります。どれも本人の責任ではなく、複雑な生活の中で手続きが難しくなるケースが多いのです。
さらに、法律が想定する「婚姻中の妊娠は夫の子と推定する」という仕組みが、現実の家庭の姿と合わない場面が増えています。この制度が壁となり、出生届が出しづらい状況を生むケースもあります。
こうした事情は外から見えづらく、周囲が気づくのも難しいため、無戸籍状態が長期化しやすいのが現状です。
“自分には関係ない”と思うのは自然。でも…
無戸籍と聞くと、「特殊な事情のある家庭だけの話」と感じる人も多いかもしれません。しかし実際には、誰にでも起こり得る可能性があります。
たとえば——
- 予期せぬ妊娠で精神的・経済的に追い込まれてしまったとき
- パートナーから逃げて安全な場所に身を置いているとき
- 家庭が崩れ、行政手続きどころではなくなったとき
人生が想定外の方向へ転がる瞬間は、誰にでも訪れます。
無戸籍の問題は「自分は大丈夫」と思うほど見えづらくなります。知っておくことが、誰かを救う力になります。
無戸籍の子どもを支える仕組みは、すでに存在しています
行政には無戸籍者専用の相談窓口があり、戸籍を回復するための支援を受けることができます。弁護士会や支援団体にも、手続きの複雑さを一緒に整理しながら付き添う専門家がいます。
制度が難しくても、専門家とつながれば道はひらけます。つまり、無戸籍は“解決できない問題”ではありません。
しかし、ここにはひとつ大きな前提があります。それは、当事者が相談窓口にたどり着ける環境が必要だということです。
社会はどう変わるべきか
無戸籍の問題を減らすには、制度側の見直しも欠かせません。
- DV被害者が安全に出生届を提出できる仕組み
- 推定制度の柔軟化
- 無戸籍状態でも行政サービスにつなぐ“例外の仕組み”
制度は、多様化する家庭の姿にまだ追いついていません。「標準的な家庭像」を前提にしたままでは、こぼれ落ちる人が減らないのです。
制度が想定していない家庭は、そのまま“支援の網”から漏れやすい構造にあります。
2024年の民法改正では、長年問題視されてきた「嫡出推定制度」が見直され、夫婦関係が破綻している場合やDV被害から避難している状況でも、出生届を出しやすくなる仕組みが整えられました。
これは、無戸籍を防ぐための大きな一歩です。
「制度が現実に追いつき始めた」という点で、とても前向きな変化と言えます。
ただし、制度が変わっても支援が届きにくい状況は残っているため、周囲の理解や情報の届け方は依然として重要です。
私たちにできること——“見つける社会”へ
無戸籍の問題は、私たち一人ひとりの関わり方で変わります。といっても、難しいことをする必要はありません。
できることは、たった一つ。
「知っておくこと」。
これだけで、身近に困っている人がいたときに支援窓口を案内できるようになります。無戸籍は“声を上げられない問題”だからこそ、周囲の気づきが大切です。
そして、「せいじのとなり」が大切にする視点——
制度を変える話よりも、“暮らしを守るために制度がどう使われるべきか”を考えること。
無戸籍の問題は、この視点と深くつながっています。
家庭の事情や背景に左右されず、すべての子どもが安心して生きられる社会に近づくために、まずは「存在していないこと」になってしまう痛みを知ることから始めたいのです。