社会には、声の大きい人と小さい人がいます。発信が得意な人、制度にアクセスしやすい人、相談できる相手がいる人。一方で、自分の困りごとを言葉にできない人、声をあげても届かない人、そもそも声をあげるという選択肢すら持てない人もいます。
“声の小さい人”ほど、権利が守られにくい。
この構図は、昔から社会が抱えてきた課題です。では、私たちの権利はどのようにして守られるようになってきたのでしょうか。そして今の社会では何が足りていないのでしょうか。
この記事では、「せいじのとなり」のトーンに合わせながら、やさしくたどっていきます。
声が届かないと、権利は守られない
社会の制度は、多くの場合 “声が届くこと” を前提に組み立てられています。困ったときに相談できる人、情報にアクセスする手段、行政に届ける言葉。これらを持っている人は比較的スムーズに支援につながります。
しかし、声の小さい人はどうでしょう?
- 気づかれにくい
- 誤解されやすい
- 問題が共有されづらい
- そもそも助けを求める手段がない
このように、困りごとが“見えない問題”として長く放置されてしまうことがあります。虐待、貧困、障害、外国ルーツ、無戸籍、ジェンダー、LGBTQ+など、幅広い分野で共通して起きている構造です。
権利は「あるかどうか」ではなく、「使えるかどうか」で守られます。声が届かないと、権利は存在していても実質的に失われてしまいます。
権利は“上から与えられたもの”ではなく、社会が積み重ねてきたもの
声の小さい人の権利が守られるようになってきた背景には、長い歴史があります。多くの場面で、社会の不合理に気づいた市民や専門家、当事者の声がきっかけとなり、制度は少しずつ形づくられてきました。
たとえば——
- 子どもの虐待防止法は、子どもの命が守られなかった事件をきっかけに整備が進みました。
- 女性の権利は、働く女性たちの苦しみが社会問題となり、労働法改正の流れにつながりました。
- 障害者差別解消法は、当事者の「生きづらさ」が丁寧に可視化され、合理的配慮が法律として明文化されました。
- 外国ルーツの子どもたちの教育環境は、地域の先生や支援者の声が行政を動かしてきました。
これらの変化は、誰かが大きく叫んだから実現したわけではありません。むしろ、届きにくい小さな声を、周囲が拾い続けた結果生まれたものなのです。
“声の小さい人”が生まれてしまう社会的な理由
声が出せない背景は個人の性格ではなく、社会構造と深く結びついています。
- 経済的に厳しいと、制度を使う余裕がない
- 家族関係が不安定だと、相談が怖く感じられる
- 差別を経験していると、声を上げても信じてもらえないと感じる
- 情報にアクセスする手段がないと、そもそも選択肢が見えない
- 周囲に味方がいないと、一歩が踏み出せない
こうした環境の中では、「声をあげる/あげない」は本人の努力ではなく、生きてきた状況の積み重ねによって変わっていきます。
“声の小ささ”を個人の弱さだと捉えてしまうと、社会の問題が見えなくなります。本来は、声をあげられない人を支える構造が求められます。
では、どのように権利を守っていけばよいのでしょう?
権利を守る仕組みは、大きく3つの層に分けて考えることができます。
① 制度が本人の代わりに守る
行政の相談窓口、福祉支援、学校の安全網、法律の整備など、制度そのものが「声をあげられない人」を前提に作られていることが重要です。
② 周囲の人が気づき、つなげる
友人、家族、先生、地域の人たちなど、身近な誰かの気づきが大きな救いになります。社会の“目”が増えることで、こぼれ落ちる人が減ります。
③ 当事者が安心して声を出せる環境づくり
偏見をなくすこと、相談しやすい場所をつくること、SNSなどの新しいつながり方を活かすこと。声をあげるためのハードルが下がれば、権利はより守られます。
権利を守るのは「制度」だけではありません。社会全体が小さな声を拾える状態にすることが欠かせません。
“自分ごと”として考えるために
声の小さい人の権利の話は、決して遠い世界の出来事ではありません。私たち自身も、人生のある瞬間に声が出せなくなることがあります。
たとえば、心が弱っているとき、家族が崩れてしまったとき、職場で孤立したとき、学校で誰にも言えない悩みを抱えたとき——。
人は状況次第で、簡単に「声の小さい側」に移動します。
だからこそ、社会は「声が大きい人」ではなく、声を出しづらい人を基準にした設計 が必要なのです。
そして、「せいじのとなり」が大切にしている視点——
制度の説明だけでは終わらない。“人の暮らし”に寄り添う視点を忘れないこと。
声の小さい人の権利を守ることは、社会のやさしさを取り戻すことでもあります。誰もが安心して生きられる社会に近づくために、まずは「声が届きにくい人がいる」という事実を受け止めるところから始めたいのです。