「どうせ変わらない」
「誰がやっても同じ」
「正直、もう期待していない」
選挙の話題に触れたとき、そんな気持ちが浮かぶ人は少なくありません。
それは無関心というより、何度も考えた末に出てきた感覚なのかもしれません。
この記事では、「選挙なんて…」と諦めてしまう気持ちを否定せず、その奥にある感情を整理しながら、政治との距離の取り方を考えてみます。
この記事は、投票を促すためのものではありません。どう関わるかを自分で選ぶための視点を整理することを目的としています。
諦めたくなる理由は、たいてい正当
期待して裏切られた経験。
大きな言葉が並んだのに、生活は楽にならなかった感覚。
説明がないまま物事が決まっていく不信感。
そうした積み重ねがあれば、距離を取りたくなるのは自然な反応です。
諦めは「考えることを放棄した状態」ではなく、「これ以上傷つきたくない」という防衛反応の場合もあります。
まずは、「諦めている自分」を責めないところから始めてみてください。
「期待しすぎない」ことも、一つの判断
政治に関心を持つと、
- 正しい選択をしなければならない
- 理想の候補を見つけなければならない
そんなプレッシャーを感じることがあります。
けれど、期待値を下げることも立派な判断です。
完璧な代表者を探すより、「これ以上悪くならない選択」を考えるという視点もあります。
応援ではなく、消去法で考える。
それも、現実的な向き合い方の一つです。
選挙は「賛成」を表明する場だけではない
選挙というと、「誰かを支持する行為」だと思われがちですが、実際にはもっと幅があります。
- 強く反対ではない、という意思表示
- このやり方には納得していない、という距離の取り方
- 今回はこの点だけで判断する、という限定的な関わり
何も考えずに任せることと、考えたうえで距離を取ることは、同じではありません。
投票の仕方や関わり方は、一つではないのです。
「行かない」という選択を考えることも含めて
事情があって投票に行けない人もいます。
気力が湧かない人もいます。
その現実を無視して、「行くべきだ」と言い切ることは、かえって政治を遠ざけてしまうこともあります。
大切なのは、行動そのものよりも、「どう判断したか」を自分で理解していることです。
行かないという選択について考えること自体が、すでに一つの関わり方だと言えるかもしれません。
それでも、選挙が残っている理由
選挙は、すぐに世界を変える魔法ではありません。
一票で何かが劇的に良くなることも、ほとんどありません。
それでも選挙が続いているのは、
- 誰に全権を委ねないかを示す手段になる
- 無関心と同一視されない意思表示になる
という側面があるからです。
選挙は「期待を託す場」というより、「任せきりにしない姿勢を残す仕組み」と考えることもできます。
暮らしと政治を、切り離しすぎないために
政治と距離を取ること自体は、悪いことではありません。
ただ、完全に切り離してしまうと、暮らしに影響が出たときに、理由が分からなくなってしまいます。
- なぜ負担が増えたのか
- なぜ制度が変わったのか
その背景を知るための、最低限の接点として、政治を置いておく。
衆議院選挙2026を前に、
「信じる」でも「諦める」でもなく、
暮らしと政治を“つなげて考える”一歩として、今の自分に合った距離感を探すことが、大切なのかもしれません。