「民主主義国家に必要なこと」と聞くと、どんなことを思い浮かべるでしょうか。
自由な選挙、言論の自由、多様性の尊重——どれも欠かせない要素です。けれど、そのすべてを支えるのが「政治に関心を持つ人を育てる教育」だとしたら、少し意外に感じるかもしれません。
政治は“誰かのもの”ではない
私たちが暮らす日本は、憲法で「国民主権」が定められた民主主義国家です。つまり、政治の主人公は政治家でも官僚でもなく、私たち国民一人ひとり。
選挙はその意思を「目に見える形」で示す手段です。
ところが、投票率は年々下がり続けています。特に20〜30代では、半分以上が選挙に行っていないというデータもあります。なぜでしょうか。
政治を「遠いもの」「難しいもの」と感じている人が多いからかもしれません。
政治の話をするのが「ちょっと気まずい」と感じる空気も、関心を遠ざける要因のひとつです。
選挙は“ゴール”ではなく“スタート”
民主主義における選挙は、単なるイベントではありません。
むしろ、社会の方向性をみんなで選び、その結果を見守る「プロセスのはじまり」です。
たとえば、学校教育で「投票方法」は教わっても、「投票したあと何が変わるのか」までは深く学ぶ機会が少ないかもしれません。ですが、政治は日常のあらゆるところに関係しています。
税金の使い道、教育制度、医療費、育児支援、交通網——それらはすべて政治の結果です。
政治を理解する最初の一歩は、「自分の生活のどこに政治が関係しているか」を探してみることです。
判断力を育てる「公民教育」
民主主義を成り立たせるには、「正しく選ぶ力」も必要です。
そのために欠かせないのが「公民教育(シビックエデュケーション)」です。
海外では、授業で模擬選挙を行ったり、議会見学を通じて“政治に参加する感覚”を身につける教育が行われています。一方で日本の教育は、制度や歴史を「知識として覚える」ことに偏りがちです。
本来、民主主義における教育は「従順な国民を育てる」ものではなく、「考え、選び、行動できる市民を育てる」ことを目的としています。
政治的中立を保つために「政治の話を避ける」傾向が強すぎると、逆に民主主義を弱めてしまう可能性があります。
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情報を“疑う”力も民主主義の一部
SNSやネットニュースで政治の話題に触れる機会が増えた今、情報の信頼性を見極める力も重要です。
フェイクニュースや印象操作に流されず、自分の頭で考える習慣が、健全な民主主義を支えます。
そのためにも、子どもたちが「情報を鵜呑みにしない」「多様な意見を尊重する」姿勢を学べる環境づくりが欠かせません。
学校だけでなく、家庭や地域社会でも「話し合う文化」を育てることが大切です。
“政治に関心がある人”だけの国にしないために
政治への関心は、人によって温度差があります。でも、それでいいのです。
大事なのは、誰もが「考える権利」と「参加する手段」を持っていること。
民主主義は、“政治に詳しい人だけ”で動くものではありません。
「なんとなくよく分からない」と感じている人の声が届く仕組みをつくることも、立派な政治参加の一歩です。
民主主義の本質は、「みんなが同じ意見を持つこと」ではなく、「違いを前提にどう共存するか」を考えることです。
政治を“話していい空気”に変えていく
「政治の話は面倒くさい」「分からない」と感じるのは自然なことです。
それでも、暮らしの中の一場面として、少しずつ話題にしていくことで、民主主義は強くなります。
友人との雑談やSNSでの共有、家族との夕食の会話——どんな小さなきっかけでも構いません。
政治を“話していい空気”に変えていくことが、国を動かす力になります。
選挙の前だけでなく、普段から「政策」や「社会の仕組み」に目を向けておくと、投票の判断も迷いにくくなります。。
「知る」から「関わる」へ
民主主義国家に必要なのは、「正しい制度」だけではなく、それを支える市民の意識です。制度を守るのは、法律ではなく人の関心。
その関心を育てるのが、教育であり、日常の対話なのです。
政治を知ることは、自分の暮らしを守ることでもあります。そしてそれは、「誰かの特別な使命」ではなく、私たち全員の役割です。
民主主義を育てるのは、一人ひとりの「知ろうとする気持ち」。
暮らしと政治を“つなげて考える”一歩になるように。