興味を失った社会の“静かな変化”
戦後の日本では、「政治は専門家に任せるもの」という意識が根強く残ってきました。教育の場では制度の仕組みを学んでも、実際に“どう関わるか”までは教わりません。
その結果、「知識としての政治」はあっても、「体験としての政治」は少ないままです。
さらに、メディアが伝える政治は“対立”や“炎上”ばかり。
冷静な議論よりも、目立つ発言が注目される仕組みになってしまっています。
これでは「自分とは遠い世界の話」と感じてしまうのも無理はありません。
政治への無関心は、社会のルールを“誰かに預ける”ということでもあります。
声を上げないことが、知らず知らずのうちに「現状を受け入れる選択」になることも。
「興味を持たせる」のではなく、「関わりやすくする」
政治参加の意欲を高めるには、まず“わかりやすく関われる環境”が必要です。
国や自治体ができることの一つは、政策や法案を「専門用語の羅列」ではなく、暮らしの言葉で説明すること。
たとえば、税金の使い道を「あなたのまちでどんな変化が起きるか」という視点で伝えるだけでも、理解のハードルは下がります。
政治教育は「どの党が良いか」を教えることではなく、「考える力を育てる」ことが目的です。
違う意見を認め合い、なぜそう思うのかを話す練習が、民主主義の基礎になります。
「もし誰も興味を持たなくなったら?」
少し想像してみてください。
もし社会全体が政治に興味を失ったら、決定は一部の人たちの中だけで進んでいきます。
教育や医療、環境、労働といった暮らしの根幹が、限られた声によって左右される。そうなれば、弱い立場の人の声は届かなくなり、格差はさらに広がっていきます。
政治に関心を持つことは、「社会のバランスをとること」にもつながります。一人ひとりの声が混ざり合ってこそ、公平な仕組みが保たれるのです。
“遠さ”を埋めるためにできること
関心を取り戻すための第一歩は、小さな「知る」行動から。ニュースを一つ深掘りしてみる。選挙の公報をざっと読む。
それだけでも、「自分にもわかる部分がある」と感じられるかもしれません。
また、政治は選挙だけではありません。
地域のパブリックコメントや、まちづくり会議への参加、SNS上の政策対話など、私たちが意見を届けられる場は少しずつ増えています。
「どうせ聞いてもらえない」と感じる気持ちは自然です。でも、届く経験を一度でもすると、政治はぐっと近くなります。
小さな発言の積み重ねが、社会を動かす力になります。
国にできること、私たちにできること
国の役割は、「無関心を放置しないこと」。
教育・報道・情報公開のそれぞれで、政治との距離を縮める工夫を続けることが求められます。
同時に、私たちも「遠さを前提にしない」視点を持つことが大切です。
政治は特別な世界ではなく、日常の延長にある“みんなの話”だからです。
たとえば、身近な公共サービスや税金の使われ方を見てみると、「政治は暮らしそのもの」だと気づく瞬間があります。
その気づきが、関心の種になります。
おわりに
政治が遠く感じるときは、無理に近づこうとしなくても大丈夫。
ただ、「なぜ遠いのか」を考えることから始めてみましょう。
その問いが生まれた瞬間こそ、政治とつながるきっかけになります。
暮らしと政治を“つなげて考える”一歩になるように。
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